なんとなく大学に進学し、夢や希望なんてないまま、就職活動が始まった。大学には友達なんていなかったし、誰かに頼ることもできなかった。というよりも、人に頼るという選択肢を、当時はほとんど持ち合わせていなくて、ただなんとなく、「どうにでもなるやろ」という気持ちが強かった。
就活といってもなにをすればいいのかわからず、とりあえず開催されるという学内説明会とやらに参加しようと思った。大学に行けば説明会が受けられるし、それで就活が勝手に進むのだと楽観視していた。
「事前予約なし。服装自由」という言葉を額面通りに受け取って、私服で大学に向かった。電車に乗って、スーツの人がやけに多いことに気づく。大学の最寄りで電車を降りた人たちは、ほとんど全員がスーツ姿だった。当時の服装は、今でも鮮明に思い出せる。ヒョウ柄のパンツにグレーのパーカー、その上にミリタリージャケットを着ていた。
服装自由だからと思う自分がいる一方で、それにしてもこの服装はやばすぎると葛藤する自分もいて、結果的に家に帰り、急いでスーツに着替えて大学に向かった。
いざ就活を始めてからは、なかなか内定がもらえなかったが、不思議と焦ることはなかった。営業や商社など、自分がイメージできるサラリーマン像に合わせて、企業に応募したが、しっくりくるものはなかった。大学の4年間はずっとパン屋でバイトをしていたから、自分にはサービス業が合うのではないかと思い、途中で方向転換をした。
最終面接までこぎつけたのは、ホテルと百貨店だった。百貨店は落ちたから、内定をもらえたホテルに就職した。
大阪の、それなりに知られているホテルに就職したが、1年ちょうどでやめた。ホテルの仕事自体は楽しかったし、仕事自体にはそれほど不満もなかった。やめたのは、人間関係だった。自分ひとりだけ残業をほとんどしておらず、何度も上司に文句を言われた。自分の仕事は完璧に終わらせているし、なんなら余った時間で他の人の仕事も手伝っているのに、残業がないというその一点だけで文句を言われる意味がわからなかった。
与えられた時間は多すぎるほどなのに、その時間内に仕事を終えられないことが理解できなかった。無理矢理に残業をしろと命じてくる上司を前にして、先輩や同僚は「彼はちゃんとやってるから、無理に残業させる意味なんてない」とかばってくれた。
「なんで真面目にやって、ちゃんと結果も出してるのに、残業してないってだけで目の敵にされなあかんのですか?」
我慢が限界に達して、上司に文句を言った。「お前は悪くない」と言われ、ここにいる意味がこれ以上ないと感じ、すぐに退職した。
仕事をやめてから、次の仕事をどうしようか悩んだ。大学時代に必死にバイトして同年代よりもはるかに多い貯金があったから、焦りはなかった。
そもそも昔からスーツを着て仕事をすることに違和感があって、たぶんサラリーマンに向いていないのだろうとどこかで感じていたから、就職はせずに自分でできる仕事をしようと思った。
結果的にフリーランスでライターを始めたわけだが、実はそれ以外にも仕事の候補はあって、キッチンカーでもやってみようかと考えていた時期もあった。そうしなかったのは、単に初期費用がかかるからだった。ライターの仕事を選んだのは、もともと文章に触れることが苦にならない性格だったのもあるし、パソコンひとつあれば、とりあえず仕事ができるというハードルの低さもあったと思う。
「どうにかなるやろ」
それだけの簡単な気持ちでライターを始め、初月にはホテル時代の給料を上回っていたから、そのままライターとして働き続けた。
ライターの仕事には忙しい月もあれば、暇な時期もある。やったらやった分お金になる仕事だったけれど、仕事がなければ収入もがくっと下がる。暇な時期に収入がないことを不安に感じ、なにかできることはないかと考え続けた。
不安を払拭するため、少しでもできることを見つけるために、「ライター 暇」と検索してみた。検索をかけると、どこかのライターのブログに行きついた。他のライターはどんな日常を過ごしているのだろうと思い、ブログを読み進めた。
「ゆっくり時間があるときは、お店でシーシャを吸いながら作業をするのが最近のお気に入り」
そんな一文が目に留まった。シーシャって、聞いたことあるような気がするけど、どんなものだろう。気になって近くの店を検索してみた。その店は梅田にあって、今から向かえばちょうどオープン時間にたどり着けると思った。
普段あまり足を運ばないスカイビルの付近まで行き、グーグルマップを見ながら店を探した。本当にこんなところにお店があるのだろうかと不安になった。マップが示す位置で、付近を見渡すと古民家のような建物がある。
それが、シーシャとの初めての出会いだった。
第二部へ続く
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